これまでどおりに行かない、強制的な手放し[STORY9]

エミチカストーリー
エミチカストーリー

わずか数か月の間に、大切な身内を二人も
見送ったこの時期、私の病気は静かに進行しており、
特に目の印象が以前と変わり始めていました。

 

 

過去形で書いてはいますが、
これは2016年から2017年の出来事。

つい、1~2年前の話です。

体調の変化をそう重く捉えることなく、
気軽に血液検査を受けたり、
薬を軽く服用する程度の私。

あまり神経質にならず、
海外で明るく過ごしていれば
いずれ元気になるはず、そんな風に
安易に考えていました。

 

しかし、海外の渡航先で、
眼の奥から、ギリギリときしむような音が聞こえ、
急に眼が閉じられない状態となり緊急帰国。
その後、緊急入院となりました。

 

 

医師に告げられた
病名は、「甲状腺機能亢進症」でした。

 

聞きなれない名前ですよね。

みなさんと同じで、私もまったく
無知の状態からこの病気との
闘病生活がスタートしました。

まず最初に少し この病気についてお話しますね。

 

―――

 

この病気・・ もしかすると、「バセドウ病」
いったほうがご存知の方も多いかもです。

 

症状の程度は本当に人それぞれなのですが
私の場合は、残念ながら重篤な状態でした。

甲状腺ホルモンが増え、
甲状腺の腫れ、手の指の震え、
汗をかきやすくなる、疲れやすいと
いった症状が現れる病気なのですが、

私の場合は この異常が目に現れました。
まぶたの腫れや眼球が飛び出る
「甲状腺眼症」というものでした。

 

また、
これは後に分かることなのですが、
甲状腺眼症の中でも
最も重篤な合併症である
「甲状腺視神経」
を引き起こしていたのです。

視神経ということもあり、
治療や手術も かなりハードなものです。

 

・眼球を引っ込める 「緊急眼窩減圧」の手術

・眼の炎症を抑え再発を防ぐ  
「ステロイド全身投与治療」や  
「放射線治療」

これらを併用しながらの
私の闘病がスタートするのです。

 

―――

 

話を戻しますね。

身体の不調を感じながらも
だまし だまし
過ごしていた私。

まさか…
そんな重篤なはずは無い…
この先に不安を感じ、事実にも
目をそらしていたと思います。

 

駆け込んだ病院から
大学病院へ緊急搬送となりました。

そして、右眼は失明寸前という予断の
許さない状況の中、先に書いたような
大掛かりな手術を受けることになります。

 

全身麻酔から醒め、
目を覆っていたガーゼが剥がされた瞬間、

「見えた!」と 思ったのも束の間、
世界はぐ〜〜と歪んでいました。

50 年以上、正常に見てき た何もかもが
傾いて二重に見えるのです。
視野は小さな穴から覗く程度。 
遠近感はなくって、
段差にガクッとしてしまいます。
憂鬱でした・・・

執刀医に、眼が見えなくなった方がマシだった!
と喚き泣きました。

 

その後、 全身麻酔での手術は
計5回にのぼりました。

結果として、1年の約半分を
入院先で過ごすことになります。

 

長引く闘病生活の中で、
ステロイドを全身に点滴することも
数か月続きました。

敏感な方は肌に塗っただけでも
反応するあのステロイドです。

それの全身点滴ですので
闘病の過酷さは想像をはるかに
超えたものでした。

 

治療の副作用で
体重は10キロも増量、
ドラム缶のように太ってしまった体に、
真ん丸にむくんだ顔と別人のような眼…。

数年前にミセス日本グランプリのタイトルに輝いた私の姿は、
見る影もなく別人のようでした。

 

 

大量のステロイドを点滴静注する免疫抑制療法は、
血糖値が上がる作用があります。

私は無性に甘いものが食べたくなり、
唯一、外出が許されていた病院2 階にあるコンビニ通いが日課になりました。

どれだけ食べても甘いものが欲しくなる。
その次は食べ過ぎた自戒の念でトイレで吐く、
という悪循環に陥ったのです。

ステロイドの副作用から起こる躁鬱も同時に併発し、
何もかも、ボロボロでした。

 

自分の運命さえ恨みました。

 

鏡を見ては落ち込み、担当医を捕まえて
「私は美容の仕事をしているため、
顔が商売道具なんです!
元通りになるのはいつですか?」
詰め寄ったこともあります。      

 

鏡の今の自分と
Facebookの中で輝いている私を見比べては、
人生最大に気持ちが落ちた時期を過ごしました。

 

失明せず、病気が快方に向かっているならいいじゃない?
何の不足があるの?それも分かります。

しかし、
私にとって私の顔は、
ビジネスの顔であり
アイデンティティそのものでした。

 

 

ですが、顔が変わってしまった今、
「人にどう見られるか」を大事にする
子どもの頃培った価値観は、私を
さらに苦しめました。

両親がいなくなり、夫を見送り、
兄、義父、義母も天に召されてしまった・・

変わりゆく景色の中で、
私一人が残されたことにはっと気づきました。

 

「親の代からずっと培ってきた古い価値観も、
まわりの期待にも応える
必要はもうないのかもしれない・・」

 

実は未だ症状は残り、
斜視も、複視も完治してはいません。

眼の飛び出る症状も
当初よりは緩和したものの
未だに外に出る時はサングラスは
欠かせない。

それが私の今の姿です。

 

 

病気をした事実は変えられません。
それにより、変わってしまった
顔も顔つきも変えられません。

だからこそ、唯一変えられるのは
私の考え方だと悟りました。

そこで、私は、
「事実は変えられないからこそ、  
陽の出口を見つけよう」そんな思いで
自分の内側の感情をひたすら
棚卸ししていきました。

 

そこで出てきたのは、
思っていた以上に外見に比重を置いていた自分、
人の評価を気にして頑張りすぎていた自分、
でした。

 

そんな評価や期待ってまだ必要かしら?
そう思った時、私は長年抱えていた価値観を
ようやく手放し、もっとワクワクするものに
自分の人生を注いでいきたいと覚悟するのです。

 

5回目の術後、退院する頃には
自分の人生を前向きにとらえ、
いよいよ2017年末から本格的に
モナコ生活をスタートするのです。

次回STORY10はこちらから⇒

 

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